帯のコピーは「55年体制を生きた政治家の王は80年代半ば、老いて王国を出た―代議士の父と禅僧の息子の、魂の対決」「息子たちに乗り越えられた父はひとり魂の荒野を目指す―21世紀初頭に小説が行き着いた、政治と宗教の極北」サスペンスでもないエンタメでもない純文学とも違う、哲学というのがカテゴリとして一番近いような小説。『
晴子情歌』『新リア王』を読む前は、サスペンス性の高い作品、エンタメを書いて欲しいという気持ちの方が強かったが、実際に『晴子情歌』『新リア王』を読むと、高村薫らしさは変っていないし、がっかりしなかったどころか魅せられた。ジャンル等なんでもかまわないし、彼女の書く作品なら何でも読みたい。理想的なファンだ(笑)
『晴子情歌』に登場した彰之が僧となって登場。彼と代議士である父が対話するスタイルで一人称で語る。上巻はその内容に魅せられました。知られざる修行僧の世界への興味もありますが、それ以上に驚いたのが、そこで怒鳴り散らす彰之。「晴子〜」で登場した彼のイメージとはかけ離れたものであるのは言うまでもなく、彼の求めていたライフスタイルとも違い、彼の本質とも違う。環境が人を変えるとは言いますが、座禅によって自己の内面にある仏性を見出すというストイックな禅宗と、その修行の過程で、ゆらぐ彰之の感情がとても面白い。仏教の世界に身を置いても、彼自身は何も変らず、内面では自分を変えようとあがいても、どこか冷静な目で周囲や自分を見ている。答えを安易に出さない慎重さがあったり、反面、ここに居ても意味がないと感じたらすぐに見切りをつける行動力があったり、彰之という人間への興味は本当に尽きない。一方、代議士の福澤栄。上巻では、代議士の生活、国会の様子、本館のエレベータから始まり、座る席に至るまでむせ返るような人いきれに、ハラに様々な思惑をかかえた人間たちの営み、国会開会日の臨場感、上巻はある程度イントロダクション的な要素もあるのだろうとは思っていたが、寧ろその説明部分が面白い。
一転、下巻は物語が一気に加速する。なぜ彰之が今、破れ寺とも思えるような寂れた寺で在家をしているのか、栄がなぜ彰之を訪ねてきたのか、秘書の英世の身に何が起きたのか。一番驚いたのが、下巻で語られる彰之はあまりにも俗っぽい環境に身を置いてしまっていたこと。修行僧時代に怒鳴り散らしていたというエピソードでも感じたが、この彰之という人は、そういう人生を辿るとは予想していなかった、きっと本人も予想していなかっただろう環境に今あるということが衝撃。彰之というキャラクターが、これまでの高村薫の作品で作者が好んで描いてきたタイプの男性だったので、そういう華やかな部分と昏い部分と併せ持つような人生を送るのだろうと思っていたら、これは驚きでした。しかしどれほど環境が変っても、どこか第三者的な冷静な立ち位置を崩さない彰之というキャラクターには、ひたすら魅せられる。同じく、老いた政治家とその息子たちが飲んでいるシーンで、父は息子たちの若さゆえに間違った考えや足りない部分が目に付き、子供たちは父の考えは古い、父の時代はもう終わったと感じる、どちらも少しずつ正解で少しずつ間違っているんだろうけれど、先駆者の間違いを学ぶではなく自分で同じ箇所で間違わなければ理解しない人間の愚かさだったり、家族と言えど他人である以上これほどまで理解し合えないものなのかなど思うところは多々あり、印象的なシーンだった。
この作品は三部作ということで、最後はおそらく彰之とその息子の物語になるのだろう。そして合田雄一郎も登場するのだろう。晴子、新リア王を経た後で、合田雄一郎がどのように登場するのか、どんな男性になっているのか楽しみでならない。三作目がいつ発売されるのかさっぱりわからないですが、これまでもそうだったように、5年10年待つのだろうな。それまでは、既刊のハードカバー、文庫の読み比べでもしようか。
読了後に。
→ 楽天ブックス:高村薫インタビュー