亜愛一郎の狼狽
泡坂 妻夫
現代の推理小説ではいわゆる探偵役が事件に関わる事が不自然ではないように、様々な工夫がなされている。例えば主人公が刑事だったり、事件の当事者だったり。シャーロック・ホームズや金田一耕助のような私立探偵が、大きな事件で自由に捜査する立場が現実的ではないからだと思われる。しかしこの亜愛一郎、自ら事件に関わろうとはせず、ぽろっと漏らしてしまうひと言で「こいつは事件について何か知っている!!!」とバレて追求され責められ、おどおどしながら推理の結果を吐かされる。そんな感じです。大立ち回りでも怯えて腰を抜かして気絶したり、謎を追求する探究心は持ち合わせてはいるものの、それに勝る小市民ぶりに好感が持てます。ちなみに職業は雲や石や昆虫ばかりを撮るカメラマン。それも熱心なカメラマンではないみたい。見映えはキレイな顔立ちでこれまた小奇麗なスーツを身に纏い同性から見ても羨ましくなるような美青年にもかかわらず、一瞬後にはああこのひとはいろいろ駄目な人なんだと初対面の人間に断定されるような小物ぶり。これほどまで小市民で弱気な探偵がいただろうか。
「亜愛一郎の狼狽」は亜愛一郎が関わった事件、実に8篇をも収めた小品集です。テロ予告された飛行機の「DL2号機事件」、飛行中の熱気球で起きる殺人「右腕山上空」、傾く欠陥マンションが舞台の「曲った部屋」、高さ38メートルもの巨像の上での射殺事件「掌上の黄金仮面」、タクシー強盗の顛末「G線上の鼬」、童話に隠された暗号を追う「掘出された童話」、原住民の酋長の自殺を追う「ホロボの神」、商店街に撒かれたカーボン騒動「黒い霧」どれも秀逸です。
特に「黒い霧」は、粉末のカーボンによって商店街中が騒ぎになり、ケーキや豆腐など商品が駄目になった店主がキレてバトルになる様子が非常に面白い。さすがにバキュームカーの描写は伝聞だけで済ませてあって安心だけれど、ケーキや豆腐が飛び交う乱闘のすさまじさがコミカルに書かれていて小品集のトリを飾る作品として最高でした。前半作品はまだ亜愛一郎のキャラクターをさぐりさぐり読んでいたので、後半の作品の方が印象的な感じ。「掘出された童話」も暗号モノとしては多分はじめて面白いと思った作品かも。
実は泡坂妻夫作品はこれまであえて避けて通ってきたもので、かつて某書評サイトで大絶賛されていた「しあわせの書」を数年前に手に取ったのが初めて。その時は「何でこんな作品が絶賛に値するんだ!!!」と激昂し、二度と読まない!!と決心したものです。けれども、逆転裁判をはじめ多くの作品でパロディとして使用されていたり、ミステリの世界を知れば知るほど避けて通れなくなってきて、今回ついに一大決心をしての読書です。これで読めなかったらその後に控える「乱れからくり」や「11枚のとらんぷ」には手が出ないかもと思っていましたが、想像以上にクオリティの高い作品群に魅力的な探偵にやられました。亜愛一郎シリーズは他にも出ているようなので楽しみ。ただヨギ=ガンジーはトラウマになっているのでどんなに面白いと言われてもまだ手は出ないかな。